いじめで転校 学校に責任は問える?

相談者 MTさん

  • イラストレーション・いわしま ちあき

 「地獄のような毎日だ。もう死にたいよ」。日記につづられた、いじめによる過酷な学校生活。中学生の息子は自殺を思いつめるほど追い詰められていました。自死という最悪の事態は、中3で転校することで避けられました。間一髪で、最愛の息子を救えたのです。息子は、今では元気に学校に通っています。それにしても許せないのは、見て見ぬふりをして、いじめを親にも知らせなかった学校の無責任な対応です。

 今にして思えば、中学に入ってからの 息子の“異変”に気づくべきでした。

 小学生のころは、朗らかで笑顔の絶えなかった息子が、中学に入ってから急に口数が少なくなりました。後頭部には白髪も目立ちはじめました。その時は、「新しい環境や勉強に慣れるのに必死なのだろう。少々のストレスにも耐えられるくらいじゃないと」と悠長に構えていました。「学校はどうだい?」と息子に聞いても「楽しいよ」とそっぽを向いて、ぼそっとつぶやくだけです。「思春期特有の反発だろう」と思っていました。でも、息子の様子を何らかのシグナルとして察知するには、私は鈍感すぎました。

 いじめに初めて気づいたのは、息子が後頭部を打って救急車で病院に運ばれた中2の2学期のときでした。体育の授業でのサッカーの試合中、同級生のKに突き倒されたのです。Kは「ドリブルをしていて、ボールを奪われそうになり、ぶつかっただけ」と言い張ったようです。しかし、試合の流れと関係なく、いきなりニヤニヤ笑いながら息子に向かって突進してきたのでした。

 息子が脳神経外科に入院し、検査を受けている数日間、息子の日記を読みました。そこには、悪質ないじめの実態がつづられていました。

 いじめは中1の1学期が始まっていました。発端はKなどいじめグループの3人とのささいな口論からでした。息子に言い負かされたKは、仕返しに、休み時間中に教壇の近くにいた息子の頭を抱え込み、黒板の角に数回ぶつけたのです。

 「ああ、あの時か」と、このくだりを読んで、私は思い出しました。息子がおでこに湿布をはっていた時のことをです。「転んで、ぶつかっただけ」という息子の言葉は、妻と私を心配させたくないという一心からだったのでしょう。

 Kたちは、その黒板の事件の後も図に乗って茶道や生け花の授業をする教室(多目的室)の畳を引きはがし、息子の後頭部めがけて投げつけたこともあったようです。いずれの暴行でも、頭部を狙っているだけに非常に悪質です。

 同級生は、息子がいじめられていることを担任や学年主任の先生に知らせていたのに、学校側はKたちにいじめをやめるように指導していませんでした。

 そして、サッカーでの事件で、ついに息子は入院にまで追い込まれて、私もようやく事の深刻さに気がついたのです。

 もし息子が自殺していたとしたら……。親としてこれほど無念なことはなかったでしょう。最近、いじめによる自殺についての報道が増えています。しかし、いじめの発覚後、学校側がどのような責任を負ったのかがはっきりしません。そこで、私は、前の中学校に対しては、息子のいじめについて、効果的な対応を取らず、2年近くも、いじめを継続させた学校の責任を問いたいと思っています。どのような場合に学校側はいじめ問題の責任を負うのかを教えてください。(最近の事例を参考に創作したフィクションです)

回答


「いじめ」の社会問題化

 大津市で昨年10月、いじめを受けていた市立中学2年の男子生徒が自殺した問題を契機として、近時、いじめに社会の関心が集まっています。そんな中、文部科学省は、9月11日、平成23年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果を公表しました。

 この調査によると、小・中・高・特別支援学校における、平成23年のいじめの認知件数は、70,231件(児童生徒1,000人当たりの認知件数は5件)となっており、その内訳は、小学校33,124件、中学校30,749件、高等学校6,020件と、小・中学校を中心として、依然、高水準となっています。また、小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は200人(小学校4人、中学校39人、高等学校157人)であり、そのうち 自殺した児童生徒が置かれていた状況として、いじめの問題があったとされた生徒は4人ということです。

 いじめと認知された件数が7万件余り、また、いじめの過程で自殺した生徒が4人もいるという結果には、改めて、いじめ問題の深刻さを認識せざるを得ません。

 ちなみに、この調査では、児童生徒1,000人あたりのいじめ認知件数において、最多の熊本県が32.9件なのに対して、最少の佐賀県が0.6件と極端な差があります。大津でのいじめ自殺問題における、大津市教育委員会の杜撰ずさんな対応にも表れているように、調査を実施した各教育委員会の意識の違いが浮き彫りにされる結果となっており、今後も、この問題に対し、社会全体として注視していく必要がありそうです。

 さて、学校でのいじめ問題は、被害児童の自殺等、取り返しのつかない痛ましい結果が発生するたびに社会の関心が高まりますが、実際に、いじめの現場となった学校がどのような責任を負ったのか、また責任を負う場合の根拠等について詳しく説明される機会はそれほど多くないと思われます。そこで、今回は、ご相談者への回答を通して、主に、裁判実務において、学校がどのような責任を負っているのか、被害者がどのような場合に学校の責任を追及できるのかについてご説明したいと思います。なお、裁判において、現実に賠償を求められるのは、私立学校の場合、運営する学校法人、公立学校の場合、国または地方公共団体となります。

 本稿では取り扱いませんが、実際にいじめをした生徒(及びその親権者)に対する責任追及については、本年1月25日付の本連載「小学校で息子が同級生のいじめで大ケガ 法的手段は?」をご参照頂きたいと思います。現実にも、学校(学校法人、国または地方公共団体)と一緒に、加害生徒(及びその親権者)に対しても訴訟提起されることが多くなっています。

「いじめ」とは何か?

 文部科学省によれば、「いじめ」とは、従前、「(1)自分より弱い者に対して一方的に(2)身体的・心理的攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお起こった場所は学校の内外を問わない」とされていました。平成19年1月、同省によって新定義が発表され、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」であり、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものと見直されています。つまり、従来のいじめの定義に盛り込まれていた「一方的」「継続的」「深刻な」といった条件を削除して、いじめの範囲を拡大する方向で修正されたわけです。

 このような定義の変遷をみても、いじめの概念が幅広く不定型なものであり、いじめか否かの判断が難しいものであることを物語っていると思います。

 ちなみに、前述の文部科学省の調査では、いじめの態様として、次のような行為が挙げられています(カッコ内は全体の認知件数の中での割合 ※複数回答可なので合計は100%を超えます)。

 (1)冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる(65.9%)

 (2)軽くぶつかられたり、遊ぶふりをして叩(たた)かれたり、蹴られたりする(22.3%)

 (3)仲間はずれ、集団による無視をされる(19.7%)

 (4)金品を隠されたり、盗まれたり、壊されたり、捨てられたりする(7.8%)

 (5)嫌なことや恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりする(7.1%)

 (6)ひどくぶつかられたり、叩かれたり、蹴られたりする(7.0%)

 (7)パソコンや携帯電話等で、誹謗(ひぼう)中傷や嫌なことをされる(4.3%)

 (8)金品をたかられる(2.5%)

いじめ問題を予見する責任

 このようないじめに対して、裁判実務では、教師は、いじめの問題を予見することができたのに(予見可能性)、予見しなかった(予見義務違反)、あるいは、いじめの問題を予見したにもかかわらず、しかるべき措置を行わなかった(安全保持義務違反)という点が問題になってきます。つまり、学校は、いじめ問題をきちんと予見する責任、いじめ問題に的確に対応する責任があるのに、それを怠ったから損害賠償責任を負うということになるわけです。 

 そして、裁判実務では、特に、前者の予見可能性について争点となることが少なくありません。これは、いじめ問題の特徴である、いじめを予見することの困難性という事情に原因があります。つまり、いじめは、一般的に、教師の目の届かないところで密(ひそ)かに始まること、被害者の身体に対する直接の有形力行使を伴わないことも多いこと(外傷のような証拠が残らない)、被害者も報復を恐れたり、自らのプライドから、直ちに教師や親に被害事実を告げないこと、周囲の生徒も関与することで自分に問題が波及することをおそれ、傍観・放置することが少なくないこと等により、なかなか表に出てこず、予見することが困難であるとの事情が、問題を難しいものとしているわけです。また、個々の被害が発覚しても、これが突発的な生徒間事故なのか、あるいは継続的いじめなのかという判別は非常に困難であるのも確かです。

 では、どのような場合に、学校側において、いじめの予見義務の前提となる予見可能性が認められるのかというと、過去の裁判例からみると、以下のような事情が挙げられると思われます。

 (1)教師が暴力事件等を現認していた場合、特に同一人が被害者となる暴力事件が複数回にわたって発生した場合

 (2)被害者、家族、他の生徒等からいじめの申告があった場合

 (3)被害者に不審な傷跡がある、不自然な金銭支出、教師から見て理由のない欠席や遅刻、早退の増加等、不審な態度が認められる場合

 (4)加害者が過去にいじめの加害者になっていた場合や被害者が過去にいじめの被害者になっていた場合

 (5)当該被害者、加害者以外の他の児童生徒の間でもいじめが多発している場合

 これらの事情が存在する場合には、一般的に、通常の教師であれば、いじめ問題の存在を予見することが可能と認められて、その結果、予見義務も認められるとの認定になりやすいわけです。そして、予見義務が認められるにもかかわらず、教師がいじめ問題の存在を予見しなかった場合には、予見義務違反という過失責任を学校側に追及することにつながっていくことになります。

いじめ問題に的確に対応する責任

 また、同様に、学校側の「安全保持義務違反」(「安全配慮義務」などとも呼ばれます)の問題もしばしば裁判において問題となります。

 東京地方裁判所は、平成3年3月27日、いわゆる中野富士見中事件において、教員等には、被害児童に対する身体への重要な危険または社会通念上許容できないような深刻な精神的・肉体的苦痛を招来することが具体的に予見されたにもかかわらず、過失によってこれを阻止するためにとることができた方策をとらなかったものとして、安全保持義務への違背があると判示し、損害賠償請求を認めています。この判決は、この安全保持義務について、一般論として次のように述べています。

 学校設置者は、心身の発達過程にある多数の生徒を集団的にその包括的かつ継続的な支配監督下に置き、その支配し管理する学校の施設や設備において所定の教育計画に従って教育を施すのであるから、このような特別の法律関係に入った者に対する支配管理者的立場にある者の義務として、当然に、それより生じる一切の危険から生徒を保護すべき債務を負うものというべきである。

 このような安全保持義務は、単に学校教育の場自体においてのみならず、これと密接に関連する生活場面において他の生徒からもたらされる生命、身体等への危険にも及ぶものであって、このような場合、教諭その他の学校教育の任に当たる者としては、その職務として、生徒の心身の発達状態に応じ、具体的な状況下で、生徒の行為として通常予想される範囲内において、加害生徒に対する指導、監督義務を尽くして加害行為を防止するとともに、生命、身体等への危険から被害生徒の安全を確保して被害発生を防止し、いわゆる学校事故の発生を防止すべき注意義務がある。学校設置者等は、学校教育の場及びこれと密接に関連する生活場面における生徒の生活実態をきめ細かく観察して常にその動向を把握することに努め、当該具体的な状況下においていじめによる生徒の生命若しくは身体等への危険が顕在化し又はそれが実に予想される場合においては、当該危険の重大性と切迫性の度合に応じて、生徒全体に対する一般的な指導、関係生徒等に対する個別的な指導・説諭による介入・調整、保護者との連携による対応、出席停止又は学校内謹慎等の措置、学校指定の変更又は区域外就学についての具申、警察への援助要請、児童相談所又は家庭裁判所への通知等の方策のいずれかの然るべき措置又は二以上のそれを同時に若しくは段階的に講ずることによって、生命、身体等に対する被害の発生を阻止して生徒の安全を確保すべき義務があるものというべきである。

 また、東京高等裁判所の平成14年1月31日判決(津久井事件控訴審判決)は、より具体的に、安全保持義務の内容として、教師が行うべき事を次のように挙げています。

 担任教諭としては、トラブルが発生した都度、当該トラブルに関与した者を呼び、事情を聞き、注意するという従前の指導教育方法のみではその後のトラブルの発生を防止できないことを認識し、亡K(注:いじめで自殺した被害児童)及び本件いじめ行為に関与していた控訴人生徒らに対する継続的な行動観察、指導をし、被害生徒及び加害生徒の家庭との連絡を密にし、さらには、学校全体に対しても組織的対応を求めることを含めた指導監督措置をとるべきであったというべきである。具体的に考えられる方策としては、

 (1)日常の学校生活において2年3組生徒ら及び亡Kの生活状況を把握するために休み時間等における見回りを強化すること、

 (2)個々のトラブルの解決のみならず、亡Kと相手側生徒らとの間の交友関係修復にも配慮しつつ事情聴取等を十分に行うこと、

 (3)教職員の目を避けて発生するトラブルに対処するために、個別的なトラブルに関与していない生徒らからも事情を聞くなどしてトラブルの実態を的確に把握することなどによって、亡Kに対する控訴人生徒らによる本件いじめ行為が継続的に行われていることを的確に把握し、控訴人生徒らに対し、亡Kに対する本件いじめ行為は、いたずらやちょっかい、悪ふざけ等に名を借りた悪質で見過ごし難いいじめ行為であり、他の生徒らのいたずらやちょっかい等とも併せて、時として重大な結果が生じるおそれがあることを認識、理解させ、直ちにやめるように厳重に指導を継続し、個々の生徒らに対する指導や学年集会、クラスにおける学級活動等を通じて全校生徒に周知徹底すること、

 (4)亡Kに対しても、女子生徒らに対するちょっかい等が亡Kに対するいたずらやトラブルを招来し得ることを理解させるために継続的に面談等の機会を持ち、亡K及びトラブルを起こした生徒のその後の様子及び指導の効果が現れているかについて注意深く観察し、その後もトラブルや小競り合いが継続している場合には、相手側生徒の保護者とも面談するなどして問題点を指摘し、学校側が厳重に指導する方針であることを伝えるとともに、家庭においても指導をするように申し入れること、

 (5)被控訴人らにも亡Kの学校における様子や改善すべき点について率直に伝え、家庭における指導を依頼すること、

 (6)個々のトラブルについて、学年主任、教頭、S校長らに報告し、指示を仰いだり、複数の教諭と情報交換をしつつ共同で指導するなどの対応策を学年会等で検討すること、

 (7)担任教諭、他の教職員に対して、気軽に相談できる機会や窓口を設けること、

 (8)被控訴人らに家庭における亡Kの言動の観察を依頼するなど、より強力な指導監督を継続的、組織的に講じることが考えられた。

 しかし、N教諭は、前記のとおり続発するトラブル、いじめを個別的、偶発的でお互い様のような面があるとのみとらえ、その都度、双方に謝罪させたり握手させたりすることによって仲直りすることができ、十分な指導を尽くしたものと軽信したために、より強力な指導監督措置を講じることを怠り、本件自殺という重大な事故の発生を阻止できなかったものと認められる。なお、前記のより強力な指導監督措置のすべてが講じられなければ安全配慮義務を尽くしたといえないものではないことは明らかであるが、N教諭は、いじめ行為が継続的に行われていることを前提としては何らの継続的指導監督措置を講じないまま本件いじめ行為の継続を阻止できず、本件自殺に至ったのであるから、亡Kに対する安全配慮義務を怠ったと認めるべきことは明らかである。

本件ご相談のケースについて

 では、ご相談者のケースで、学校側がどのような責任を負い、追及できるのでしょうか。参考として、ご相談者のケースと同様の事案において、京都地方裁判所平成20年7月11日判決が述べた内容をご紹介します。

教師は予見できたのか?

 まず、最初に起きた、黒板の角に頭部を打ち付けられる暴行について、裁判所は、それ以前に教師らが、被害者がいじめを受けている旨の疑いを抱き、事実調査をする義務があったということはできず、また、それらの調査なしに、いじめを把握できたとはいえないから、加害児童に対する指導等の対応をする義務があったとはいえず、また、暴行は、始業時間前の教室で発生し、教師らはその場に居合わせていなかったことから、教師らが予見し防止できたとはいえないとし、学校側の過失を認めませんでした。

 次に、その後発生した、畳を投げつけられた暴行については、本件中学校の多目的室における音楽の授業中に発生したものであり、教師は、加害児童が授業開始後も合唱の練習に参加せず教室内をうろうろし、畳が置かれていた場所に行ってこれを手に取るなどの不規則な行動をしていたことから、これらの行動を注視し把握すべきであったといえること、加害生徒が畳を手に取った後、引き続きこれを投げるなどのさらなる不規則な行動に出ること及びこれが被害児童その他の生徒に当たるなどの危険があることは、教師において十分予見できたといえること、教師が教室の中央付近で被害児童が首を押さえ、ひざをついているのを目撃しており、畳は通常教室の左奥隅に置かれていたのであるから、加害児童は同室左奥隅で畳を手に取って教室中央付近に移動したと考えられ、その間に教師が加害児童の行動を制止していれば事件の発生を防止できたといえ、過失が認められるとしました。

 さらに、サッカーの授業中の暴行については、その当時は既に、当該学校内において、生徒による暴力行為が広く問題になっていた事実を認定した上で、当該学校において、生徒の暴力行為が発生することが予測され、これがいつ顕在化するやもしれない状況にあったといえるとし、教師は、体育の授業の実施にあたり、そのような状況を踏まえて、被害児童を含めた生徒の安全を確保すべく適切な指導・監督を行う義務があったことを認め、サッカー競技中の生徒の動静を常時注視して指導の目を行き渡らせ、生徒が暴力行為に及んだ場合には即座に対応できるよう授業を監督することで、生徒自身が危険な行為をしないようにという注意を遵守(じゅんしゅ)し暴力行為を自制するよう促し、抑止する必要があったというべきであるとして、予見義務、いじめ対策義務を認めました。

 その上で、教師が、サッカー競技が行われているコートに審判等として入ることなく、暴力事件発生時には立ち話をしていて、生徒同士が衝突した場面を見ていないことなどから、教師には、事件を発生させた過失があるとしました。

 そして、被害児童が、これらの暴力事件を考慮すれば、以後も加害行為が継続するのではないかとの危惧を抱くのはやむからぬところであり、これを避けるために転校することは合理的な選択といえるとし、畳による暴行、サッカーの授業中の暴行による慰謝料と転校による慰謝料をあわせて200万円と認定して、原告の請求を認めました。

 以上のように、具体的な状況にもよりますが、学校側の責任を追及するためには、学校側がいじめ問題を予見可能であったことを前提とする予見義務違反、または、予見・認識していた場合の安全保持義務違反等を主張し、同義務違反が認定された場合には、慰謝料等の損害賠償請求が可能となると考えられます。

 いずれにしても、法律構成も含めて、いじめの問題は難しい判断を必要としますので、弁護士に相談されることをお勧めします。

2012年09月26日 09時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 


Copyright © The Yomiuri Shimbun